大判例

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大阪高等裁判所 昭和56年(ラ)284号 決定

抗告人 大川加代子

相手方 岡正美

主文

原審判を取消す。

相手方の本件氏の変更申立を却下する。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は別紙記載のとおりである。

よつて検討するに、本件記録及び本件に関連する大阪家庭裁判所昭和五四年(家)第二一四二号・第二一四三号事件記録によれば、

(1)  大川忠行(以下、単に忠行という)は昭和三九年一月二五日抗告人と婚姻し、その間に同年六月九日長男洋一、昭和四一年一一月三日長女由加、昭和四三年五月七日二男雄二を各もうけたが、長男洋一は昭和四二年三月五日に死亡したこと

(2)  忠行は昭和四四年六月頃相手方と相識り、その後、交際を続けたが、その間、相手方は忠行の妻として抗告人が存することを熟知していたこと

(3)  忠行と相手方との交際は昭和四七年中に抗告人に知られたが、忠行は同年一二月単身で家出をして、相手方と同居し、昭和四八年三月に一旦は抗告人の居住する家に帰り、妻子と同居したけれども、間もなく単身で家出をし、横浜市内において再び相手方と同居したこと

(4)  抗告人は昭和四九年一月忠行を相手方として横浜家庭裁判所に対し、婚姻費用分担に関する調停の申立をしたところ、同年七月二四日に「忠行は抗告人に対し昭和四九年七月以降一か月一〇万円宛(但し、六月は一二万円、一二月は一三万円を各加算)を支払う」旨の内容の調停が成立したこと

(5)  忠行と相手方との間には、昭和五〇年一月二九日に正一郎、昭和五二年五月二四日に忠夫が各出生したが、忠行は右各出生後間もなく右両名をそれぞれ認知したこと

(6)  忠行は昭和五三年三月に大阪府下に転居し、相手方、正一郎、忠夫との同居生活を続けたが、同年末頃人を介して抗告人と離婚の交渉を試みたところ、抗告人において離婚の意思が全くなかつたため、その交渉は不調に終つたこと

(7)  相手方は忠行と再同居以来「大川」姓を名乗り、正一郎、忠夫も各出生以来「大川」姓を名乗つてきたが、正一郎及び忠夫の成長に伴い、他人が正一郎らに対し本来の氏である「岡」姓で呼びかける機会が増大し、同人らにつき不都合な事態が発生してきたので、相手方は正一郎及び忠夫の法定代理人として昭和五四年七月二七日大阪家庭裁判所に対し、民法七九一条に基づき、右両名の氏を父の氏の「大川」に変更することの許可を求める申立をしたところ、その点に関し意見を求められた抗告人は、右を許可することにつき強く反対する旨の意思を表明したこと

(8)  忠行は昭和五五年四月に相手方、正一郎、忠夫とともに東京都内に転居し、同人らとの同居生活を続けたこと

(9)  相手方は同年六月二〇日大阪家庭裁判所に対し、自己が昭和四八年四月以降「大川」姓を使用し来つたことを理由として、戸籍法一〇七条一項に基づき、自己の氏を「大川」に変更することの許可を求める申立をしたところ、その点につき意見を求められた抗告人は、右を許可することについても強く反対する旨の意思を表明したこと

(10)  現に、忠行は会社に勤務して稼働し、相手方、正一郎、忠夫とともに日常生活を送つており、抗告人は中学校に通う長女と二男とともに生活し、忠行から前記調停所定の金員(但し、毎年六月と一二月の加算額は暫く前から忠行において一五万円宛にして送金している)の仕送りを受ける一方、自ら洋品店に勤めて稼働しているが、その生活費の不足分は実弟の援助によつているという窮境にあり、忠行に対し婚姻費用分担金の増額を求めているが、忠行において容易にその増額に同意しないこと

(11)  相手方は正一郎と忠夫の氏を「大川」に変更することを熱望しているが、相手方自らの氏を「大川」に変更することはさほど強く希望しているわけではなく、本件申立も、戸籍筆頭者である相手方の氏が「大川」に変更されれば、同一戸籍内の正一郎と忠夫の氏も「大川」に変更される点に着目して、なされた形跡があること

(12)  原審判は、前記子の氏の変更申立事件と本件申立事件とを併合した上、右子の氏の変更申立を許可すれば、忠行を筆頭者とする抗告人及びその子らの戸籍に正一郎と忠夫とが入ることになるが、それは抗告人において強く反対するところであるところ、正一郎及び忠夫においては、単にその氏を「大川」と呼称する氏に変更しさえすれば、同人ら主張の社会生活上の不都合はすべて避けられるのであり、特に父の氏の「大川」に変更するまでの必要はないというべきであり、その点からすれば、その戸籍筆頭者である相手方の氏を「大川」と変更すれば、正一郎と忠夫の氏も「大川」に変更されるから、その方法を採ることが関係者全員にとつて最も妥当な結果を生ずると判断し、相手方の本件氏の変更申立を戸籍法一〇七条一項所定の事由があるとして許可し、正一郎と忠夫の右子の氏の変更申立を却下したこと

を認めることができる。

ところで、氏は個人の呼称であるが、それには長い間に形成された呼称秩序があり、その不変性の確保は国家的、社会的利益につながるものである。そこで、戸籍法はこれを個人の意思により自由に変更することを認めず、「やむを得ない事由」がある場合に家庭裁判所の許可を得て変更しうる旨定めている(同法一〇七条一項)。したがつて、同法一〇七条一項による氏の変更が許されるためには、現在の氏を使用し続けることが社会生活上著しく不当または不便であり、社会観念上それを変更することが妥当であると思料されるような高度の客観的必要性がなければならず、内縁関係における家族間の氏の不一致がもたらす不便、不利益を避けたいというような主観的事情は、それのみでは、右にいう「やむを得ない事由」に当らず、これを理由とする氏の変更は許されないものと解するのが相当である。前記認定の事実関係からすれば、相手方は昭和四八年中から現在まで忠行の事実上の妻として忠行と同居しつつ生活し来り、その間、忠行の氏である「大川」を自己の氏として使用し来つたところ、忠行には右同居以前から現在まで引続き法律上の妻である抗告人が存するというのである。そうすると、相手方自身とすれば、その氏である「岡」を「大川」に変更することができれば、社会生活その他の面において何かと便宜であることは明らかであるが、もともと、事実上の夫婦は氏を異にするのであり、その点については、相手方においても予て承知し覚悟しているところであるといい得るのみならず、本件のように、その夫に法律上の妻が存するため、重婚的内縁になる場合において、内縁の妻の氏を夫の氏(それは法律上の妻の氏でもある)と同一呼称の氏に変更することを認めるならば、法律上の妻と事実上の妻とが同一呼称の氏を称することになつて、正妻と内妻との判別がし難く、社会生活上の不都合も生じ易くなる。しかも、右のような場合に夫の氏への変更を容易に認めることは、本来保護されるべき法律上の夫婦関係を軽視し、法律上の夫婦関係との対比において相対的には好ましからざる重婚的内縁を不当に保護する結果をもたらすことにもなる。したがつて、相手方が昭和四八年以降八年間「大川」の氏を使用してきたという事情を考慮しても、現時点においては、相手方が忠行の氏と同一呼称の氏である「大川」に氏を変更することは、社会観念上妥当視し得ないものであり、相手方には戸籍法一〇七条一項の「やむを得ない事由」があるということはできない。

なお、相手方の本件氏の変更申立が子の正一郎及び忠夫の氏を「大川」に変更させ得る結果をもたらすことを配慮してなされたことが窺われること前記のとおりであるけれども、子の氏を父の氏に変更させるか否かは、あくまでもその点に関する規定である民法七九一条により、その許否を判断し決定すべき筋合のものであり、右法条によることなく、結果的に子の氏が父の氏と同一呼称の氏に変更されるからといつて、戸籍法一〇七条一項により、父の重婚的内縁の妻にして戸籍筆頭者である母の氏を父の氏と同一呼称の氏に変更することを許可することは、本末を顛倒するものであつて、前記説示の戸籍法一〇七条一項の法意に反するものであり、便法としても許さるべきものではない。

以上により、相手方の本件氏の変更申立は、その氏を変更するにつき戸籍法一〇七条一項にいう「やむを得ない事由」があるとはいえないから、理由がなく、却下すべきである。よつて、右と趣旨を異にする原審判は不当であるから、これを取消した上、相手方の本件氏の変更申立を却下し、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 坂上弘 裁判官 大須賀欣一 吉岡浩)

抗告の趣旨

一、原審判を取消す

との裁判を求める。

抗告の理由(一)

一、原審判では、申立外大川忠行が抗告人と別居するに至つた経緯等につき、右忠行や相手方の事実と異る一方的主張をそのまま認定している点がはなはだ多く、このような事実認定の誤りがなければ当然審判の結論も異るものと考えられる。

二、原審判の判断は、将来の動向もはつきりしない事実婚のみを重視する一方、抗告人との法律婚が既に破綻しており解消されるべきものであると決めつけるなど、全体として非常に独善的かつ主観的であり妥当性を欠き、その結果として法令の適用にも誤りを生じている。

三、なお事実誤認及び法令適用の誤り等については至急その詳細を追加主張する。

四、抗告人は本件につき利害関係人として抗告したが(特別家事審判規則第六条第二項)、利害関係を有することについては次に述べる通りである。

すなわち、相手方がそれに変更することを求めた「大川」姓は、申立外大川忠行の姓であるが、それは婚姻を通じて同時に抗告人の姓にもなつており、原審判は結局、相手方の姓を法律上抗告人の姓に変更することを認めるものである。またそのことは同時に、たとえそれが相手方と前記大川忠行との間に法律婚を生じさせるものでないとしても、法律が結果的かつ実質的に重婚関係を認めたことになるといいうるのであり、その反面抗告人の配偶者としての地位に重大な影響を及ぼす。

なお抗告人は原審判につき意見を求められ、かつ審判書の送付を受けている。

以上から抗告人は原審判につき、法律上及び事実上の利害関係を有することは明らかである。

抗告の理由(二)

原審判は事実婚であつても保護を計らなければならないというが、現在の戸籍制度は法律婚を前提として成り立つているものであり、法律婚と事実婚とを厳然と区別しない限り、戸籍制度の大きな意義が失われてしまい、更には法律婚制度そのものの基盤も崩されてくるのである。

即ち事実婚においては、法律上夫婦が同一の姓を名乗れないということによつて、事実婚の発生を防ぐ、あるいは事実婚を法律婚にまで高めさせるように促す意味があり、そのことによつて法律婚を保護して、重婚を防いでいるのである。

ところが本件のように法律婚を放置して顧みず、内縁関係を数年継続すれば容易に氏の変更が許可され、重婚状態が保護される結果が得られるというなら、忠行のように法律上の妻子に対する責任ということを考えることなく、安易に法律婚を放棄して他の女性と内縁関係に陥る風潮を助長し、その結果、婚姻制度そのものが実質的に破壊されてゆく危険性がある。

更に本件の氏変更については実質的に、相手方自身の必要性ではなく、その子供への配慮ということが中心となつているようであるが、子の氏変更の問題については別件にて解決済であるので、本件は相手方のみの問題として考えるべきであり、その点で子の利益を重視して変更を許可した原審判は理論的に疑問点が生ずる。

以上のように申立人と忠行の別居は、忠行と相手方の不倫な関係が原因となつており、相手方もこのような結果を当然承知している上、相手方自身氏を変更する必要性が大きいと思えず、氏変更による法律上の妻である申立人やその子らへの影響、不利益が大きい。その上万一右氏の変更が許可されれば、結果的に重婚や不倫な関係を法が保護することになつてしまい著しく不当である。

原審判は特に忠行らからの一方的主張によつて事実につき誤つた認定をなし、その結果本件が戸籍法第一〇七条第一項にいう「やむを得ない事由」に該当するとの誤つた法律解釈、適用をなすに至つているので、貴庁において再度事実を正確、かつ慎重に調査・認定の上原審判を破棄し、相手方の申立を棄却するよう求める次第である。

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